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2010年12月25日土曜日

2010年12月25日-LIFE-HO CHI MINH CITY

ご無沙汰しております。

ベトナムよりメリークリスマス!Chúc mừng giáng sinh các bạn!


大分、朝夕は涼しく過ごしやすくなりましたが、
自宅では裸で充分な位ですね。


うちの会社は2010年一杯の注文受付も本日で締切り、
残すは配達・集荷・洗濯で4、5日で業務を終えます。


私生活ではサッカー部、引越し、両親と友人の来越の出迎え。
年始には結婚式、披露宴と控えてます。
バタバタですが、バタバタするのもまだ日本の風習が染み付いたままだからでしょうね。
なんせここはベトナムですから、10の仕事が1.5倍になります。


2010年は本当に変化・転機の年だったのではと実感しています。


良くも悪くもあった会社を2009年早々に辞め、
再びザック担いで、山に籠ったり、他所の国をふらついたり、
2006年にカナダを発ったときと同じような。
まあ当時から戻ると決めてたベトナムに今年戻ったけども。


ベトナムで会社作って、ベトナム人の嫁をもらうことになるとは。
チョイオーイ


いろんなことが始まってしまいましたが、
これでも自分の器量は理解してるつもりなので、
調子に乗り過ぎることなく、本気で、勇気を持って、やる気を失うことなく、殺気も放ちながらも、やっていかなきゃなー
なんて感じている年末です。


来年はうちの会社が問題なく成長軌道にのせられれば、
僕が日本に完全帰国することはありませんが、


まあ先のことはわかりませんけど、
現在は自分のやり遂げたいことを優先してベトナムで挑戦します!


えー、日本と他所の国の仲間の皆さん、
そしてホーチミンの仲間の皆さん、
本年はお世話になりました、
来年もよろしくお願い致します。





2010年10月22日金曜日

2010年10月21日-LIFE-HO CHI MINH CITY

ご無沙汰しております。


最近、余裕がない松田です。
9月3日にVietnam(ベトナム)はHo Chi Minh City(ホーチミン市)に戻ってきました。
既に1ヶ月半が経過しました。

会社設立手続きなどで、慌ただしい日々を過ごしております。
この国ならではのハプニングを受けとめながら奮闘中です。

色々あるのですが、
日本では考えられないような珍事件が頻繁に起こっています。

僕と僕の彼女(正月結婚します)で設立した会社ですが、
全て書類を揃えても、役所の仕事でも入力ミスがあります。
そのまま書類を渡されます。
受け取った書類を慎重に確認する必要があります。

ちなみに、ベトナム人の彼女であり当社の名義上オーナー社長である、
ンゴックさんと現在婚姻手続きをすすめております。
これがまた大変。


事前に調べて領事館経由で公的な書類を作成し、
彼女の本籍地の法務局に出向き申請するのですが、
まあ、こういう国なので、
贈○賄がものをいう世界。
お金のない僕は払わないわけですから
毎回、あれこれ理由をつけられやり直しの繰り返しで、
毎週毎週、片道1時間30分掛けて、既に6回のチャレンジ。
いい加減に頭にきて、
最終的には、今日も法務局に出向きましたが役人との会話を全て録音し、
それを材料にネゴシエーションへと無理矢理すすめました。
効果てきめんかどうか、
一応、違法である贈収賄には一切関わることなく申請は済みました。
まだ、100%の安心は出来ませんが、
何か起きたときの戦う準備もあるので前進は前進です。

*ドンナイ省のベトナム人女性と真剣なお付合いの上、ご結婚を考えられている方がいれば、
ご相談承ります。あくまで僕の理解の範中であります。

ほぼ公的な手続きは済んだわけですが、
結婚式、披露宴、当然仕事も進めていかなくてはいけないので、
まだまだ落ち着けませんが、
やる気に充ち溢れています。


あー眠い

2010年9月27日月曜日

2010年9月27日-LIFE-HO CHI MINH CITY

ご無沙汰しております。

本当は今頃、山小屋で小屋閉めまでラスト1ヶ月を過ごしているはずでしたが、
実は9月3日からHo Chi Minh City(ホーチミン市)に戻ってきています。
滞在予定も無期限です。

山から東京の実家に戻って、さらにHo Chi Minh City(ホーチミン市)まで来るのに,
2泊3日と充分な時間がなかったので、
身近な仲間にも何一つお伝えできませんでした。

山小屋での仕事をほってまでして戻ったわけで、
当然金欠は金欠ですが、何とか無事にやってます。

かれこれ再渡越から1ヶ月、
ようやくスタート・ラインに立てた状況です。
仕事を始めるにあたっての準備などもろもろ、
自国または他の先進国と比べると
何をするにしても時間と手間が掛かりました。
ひしひしと言葉、文化、人種の壁を感じる毎日です。

自分で選んでやってることですから、苦労ではないのは間違いないですけど、
腹立つことは多いですね。
まだまだ勉強も経験も必要ですが、
やってやりたいところです!

2010年6月22日火曜日

2010年6月22日-LIFE-TOKYO

6月4日に帰国して以来、初めてのブログ更新です。

帰ってきてからというもの、人との面会、フットサル以外での外出は全くしていないのですが、
連日のW杯サッカーTV観戦と11月以降の準備とやり、
実家でゆっくりやらせてもらってます。

お金が使えないのはありますが、
仲間や先輩に甘えさせてもらって、
飲みにも行ってます。
やはりベトナムでは頂けない物やサービスに感動します。
僕も始めての店があったので、紹介しておきます。

・かき小屋 Jackpot 祐天寺

http://r.gnavi.co.jp/g203616/

酒持込みOKなのでお得
お通しがデカい蒸し牡蠣(鍋で出てくる)
生牡蠣三点盛り(僕のときは、北海道/茨木/ニュージーランド産)

・2000円 居酒屋バイキング 三軒茶屋

http://r.gnavi.co.jp/a439013/

90分 飲み放題 食べ放題 2000円
飲み物、食べ物 セルフサービス

気になられたら行ってみて下さい。


今週末からは山小屋始まります。
まっとうに働き、10月末にVietnam(ベトナム)戻って、
皆さんに驚かせるような結果を起こせればと思います。

2010年6月2日水曜日

2010年6月3日-LIFE-HO CHI MINH

いよいよ明後日に帰国となりました。

早朝出発ということもあり、
Ho Chi Minh City(ホーチミン市)での滞在は残すところ1日。
正直、とても寂しく感じています。

もちろん日本への帰還、日本での仕事、家族や友人との再会、
これは僕にとって必要なことで、大変嬉しいことでもあるのですが、

日本で会社を辞めたとき、また日本を出発したとき、
自分の決心に対して、今どこまでつらぬけたのかを考えると、
まだ延長線上にいるような気がしてます。

しかし、まだ勝負が決まったわけではありません。

最近、辰吉丈一郎さんの動画を見まくってます。
あいかわらず良い事、話されてます。

「負けてもいい心を持っている人間は、諦める心も持ってるでしょ?そんな人間は勝てんて、
そんな自分だけが成功したい人間が、どんだけおるよ?
みんな吐いて捨てる程おんのやから、
でもそこで真面目にまっとうしてる人間がおんねんごく稀に、
そういう奴が天下取りおんねん。」

生きる世界は違いますけど、
僕もどうせやるなら、
世界一になるつもりで、なれると思って信じてやってきます。

2010年5月24日月曜日

2010年5月24日-LIFE-HO CHI MINH

一作日、念願のホワイトニングに行ってまいりました。

長年の喫煙や飲酒によって、汚れ尽くした歯を真っ白にする為に。

施術はの流れは、
歯の診断と、歯の歯石や煙草ヤニの除去、
それから、マウスピースを装着し、
ホワイトニングの薬剤を歯に満遍なく塗って、
紫外線?ビームを照射すること1時間。
綺麗に薬剤を除去してもらい完了。

3日間のコーヒー禁止令と頻繁に歯磨するようにと指示を受け終了です。

知合いの友人が働くクリニックでの施術。
通常$70を安くしてもらって$60でした。

薬剤が強いかったせいか、時折歯が痛みます。
ドクターから貰った痛み止めはまだ飲んでません。
3日間の辛抱です。

帰国する前に、やりたかったこと完了しました。
日本だと通常4万円~10万円するので、
いい買い物でした。

2010年5月18日火曜日

2010年5月17日-LIFE-HO CHI MINH

日本では、フォーとか生春巻きは知られているとは思いますが、
ベトナム近隣の中華料理やタイ料理に比べると、
まだまだ認知度が低く、ベトナム料理屋に足を運ぶ人も少ないかと思います。

僕は4年前に2カ月間、旅行者としてベトナム滞在していましたが、
ベトナム料理にこれといった思い出はないままでした。

今年に2月にホーチミンに移り住み、キッチンのないアパート住まいで、
お金ももったいないので、日本食レストランには殆ど行かず、
ローカルのベトナム料理屋で食事は済ませますし、
何故か、仲の良い友人とも、ローカルベトナム料理屋に行くことが多く、
色々と美味しい発見をさせてもらってます。

いくつか好物を紹介します。



















So Diep Nuong Mo Hanh
(ソーディエップヌーンモーハン)
焼きホタテにネギ油とピーナッツをかけた料理。


チリソースと一緒に頂きます。

ビールには最高にあいます。
























Bun Bo Hue
(ブン ボー フエ)
Pho(フォー)より細めの麺で、牛骨スープ。

ピリ辛でさっぱり。

ベトナム麺に慣れてくると、
日本のうどん、蕎麦やラーメンのスープが塩辛く感じるようになります。























Vu De
(ヴー イェー)
山羊のおっぱいの焼肉

インド風のスパイスで味付けしているのか、
山羊肉の臭さは全くないです。
食感が楽しく、ビールとあいます





もちろん、ベトナムを代表する料理で美味しいものも沢山ありますが、
どこの店に行くかによって、味には大きな差があります。
それは日本でも、他所の国でも同じこと。

住めば都ではないですが、旨い料理はあるものです。

2010年5月6日木曜日

2010年5月6日-LIFE-HO CHI MINH

5月に入り、ホーチミンは真夏の猛暑で
ビールが大変おいしいです。

こちらでの生活や活動については、
約3週間前に大学での2ヶ月ベトナム語コースが終わり、
昇級テストをパスしました。
帰国日などの関係で、次のコースは受講していませんが、
11月以降、時間に余裕があれば受講したいと思います。

現在はベトナム語コースに割いてた時間を
カフェで将来のビジネスの為の、
WEBシステムの構築に当てたり、
ターゲットとなるエリアの視察に行ったりと、
毎日があっという間に過ぎていきます。

そんな毎日ですが、
Ho Chi Minh(ホーチミン市)は知れば知るほど、面白い街です。
旅行者にとっては、魅力に欠けることは否めないですが、

"住めば都"ですかね、息抜きに最適な施設も多くあります。
特に最近ハマっているのは、
Ho Chi Minh(ホーチミン市)では、
最大級2000㎡の映画館Galaxy Cinemahttp://www.galaxycine.vn/
この2週間で、"タイタンの戦い"3D http://wwws.warnerbros.co.jp/clashofthetitans/
"バウンティー・ハンター"http://www.bountyhunter.jp/の2本鑑賞しました。

明日は"アイアンマン2"http://www.ironman2.jp/の鑑賞に行き、
夕方からは後輩のオフィスで焼き秋刀魚と空芯菜炒めでビール飲みます。

遊んでばかりかと思われるかもですが、
大丈夫です、しっかりやってます。

帰国まで1ヶ月を切り、喜び半分、寂しさ半分、実感しています。
少しずつですが将来の確立への道を進んでいるので、
夢が拡がる毎日です。

2010年4月12日月曜日

2010年4月12日-LIFE-HO CHI MINH

気付けば、20代も今日で最後です。
まあ20代に別れを告げることには寂しさもありますが、
30代を迎えるにあったての自覚がないのが、率直な思いです。

10代から20代を迎えるときは、喫煙、飲酒等、法的に認められる、
何故かわかりませんが、覚悟を決めるというより、浮かれていました。

まあ、昨今、自己紹介では「四捨五入したら30歳」言ってましたけど、
明日からは「三十路」と、言えますね。
30歳だから、どうこうしなきゃならないとは思いませんが、
自己嫌悪することもありますが、
「僕はこういう人間です」って、言えるものを築いていかなくてはと。
でもハートは「永遠の17歳」でありたい。

今日で終わる20代を振り返って、
何一つ、最悪はないし、
むしろ、最高だったと思います。
「何で俺が」っていう風に感じることもありましたが、
今では良い経験。
経験できて良かったと思いますし、
一緒にいてくれた仲間、家族には本当に感謝ですし、これからもパワーを頂けたらと思います。

ここHo Chi Minh(ホーチミン)で30歳になり、
「俺はこうする」と豪語して、日本飛び出して来た訳ですから、
大失敗、大成功とか、結果ではなくて、
挑戦することに重きを置いて、頑張ろうと心に決めています。
僕が成功しようが失敗しようが、
松田 祐一という人間の根本が変わるわけではないし、
仲間や家族への思い、信頼が揺らぐことはないし、
姿をくらますこともありません。
僕は何時だって正直者の旗を挙げて、何時だってオープンです。

正直、自分自身ですら自分の将来が見えない状態ですし、恐怖もあります。
だけど、恐怖を直視して、受け入れた時に勇気が湧く自分がいるのが事実なので、
今後も鍛えてやって下さい。
何卒、よろしくお願い致します。

2010年3月17日水曜日

2010年3月17日-LIFE-HO CHI MINH

皆さん、お元気でしょうか。
僕はぼちぼち、生活をバカンスから日常を取り戻しています。

大学でのべトナム語コースが早くも1ヶ月経過致しました。
現状、ベトナム語で日常会話もろくに出来ませんが、
ある程度、先が見えてきました。
僕には僕の語学の学習方法があるのですが、
先ずは、文法を頭に入れる(ベトナム語の文法はシンプルです。)、次に単語の引出しを増やす、
これらは文法は授業と、単語は辞書があれば解決出来ます。
次のステップとして、聞き取り、発音ですね。
聞取りは、日常の生活で困らない程度、
発音は、Japanese Vietnamese程度を
今は目標としています。
それ以上のレベルを求めるときは、ケース・バイ・ケースで必要があれば、
都度という感じで見ています。

さておき、
ビジネスという面でベトナムは調べれば調べる程、魅力性、有望性を感じるこの頃です。
現在、事業計画を作成していて、マーケット調査に時間を費やしている為、強く実感しています。
もちろん、会社登記、就労許可、資金と今後、色々と解決しなければならない問題もあるのですが、
ポジティブに、クリエイティブに考え、行動していきます。

後輩のリョウイチ君のおかげで、ベトナム人の方、日本人の方、第三国の方と色々な方々と面会しています。
現時点で、今までお会いした方々の率直な印象としては、

ベトナム人の方々:真面目でフレンドリー、仕事には必死、酒飲み、と未知数。
日本人の方々:理屈ではなく屁理屈が多い、強引、ユーモアが足りない。
第三国の方々:ユーモアがある、と未知数。

もちろん、これはお会いした方々全てが該当するわけではないし、
僕自身しっかり時間をかけて話したわけではありませんから、
交際の可否、判断基準ではありませんし、これからもっと真実を知れるだろうと興奮しています。

僕自身はどうなのか?
今の僕は、自発的な行動が少ないし、ポジションも確保していないし、
まだまだ、頑張りが必要ですね。
但し、頑張る余力は充分あるので、
あとはこのHo Chi Minh City(ホーチミン市)、Vietnam(ベトナム)で、どう振舞うか、どう行動するかの基準を決定し、何をやるにしても慎重に考え、大きく成長し、スピードアップする為の行動指針を設けることが重要だと思っています。
僕の信念、理念、身の丈にあったもので結果を出していければと思います。

話は変わりますが、
日本代表、CSKAモスクワの本田圭佑選手は、本当のやり手ですね。
彼は僕より年下ですが、尊敬と憧れの念を抱きました。
サッカーというスポーツとか、その技術という話ではなく、
有言実行を果たす人間というところに、
サッカー界で言えば、本田選手は中村越えどころでなく、中田越えの可能性を感じました。

今、僕が目指すところでもあります。
職業は違えども、ビジネスはビジネスです。
本田選手の行動、成長、評価、結果を見ると、
不言不実行、有言不実行な人間は淘汰されるべきだと常々感じます。
僕も彼のように有言実行の人間になる、なりたい、なれるように努力していきます!

P.S.
この度、Ho Chi Minh City(ホーチミン市)で活動する、
Saigon Japanese Football Club(通称SJFC)に選手として加入することになりました。
とりあえず、11人制でメンバーは40人以上いるので、
さっさとポジションと関係確保に取り組もうと思います。

2010年3月4日木曜日

2010年3月4日-LIFE-HO CHI MINH

大学のベトナム語学クラスが始まり既に2週目。
ホーチミン滞在も3週目。
こちらに来てから、毎日があっという間です。
住んでる感覚になりきれないのが正直なところではありますが。

今は旅中より怠惰に毎日過ごしてるかもしれない、
そんな恐怖が僕のなかで芽生えつつあります。
別段、ブリッてもいないし、
酒は飲んでも、潰れるわけではないし、
飯も贅沢してるわけでもないし。

実感するところ、
やはり遅起きしてることと、
何から始めたらいいのかが、わかってないところ。
これらが僕の恐怖を生み出してるのではないかと思います。

僕が勇気があり、優秀で、賢い人間なら、また自信があれば、それこそビッグ・マウスにでも
なろうかと思いますが。
今までやって来た事に対して、教えて頂いたこと、学んだことと、どれも有り難いものなんですが、ここで確信を持って、「僕は出来る」とは、まだ言えません。

色々、考えた挙句ですが、
僕に足りないもの、本当の大失敗、大成功という経験かと最近思います。
なので、今は、この先のどうなろうと、やれることはやろうと思います。
底辺で最低やらなくてはならないこと、やるべきこと、それだけは把握しています。
むしろ、僕の原動力は負けず嫌い、タフネスなので、
もっともっと頑張ります!

2010年2月20日土曜日

2010年2月18日-START-SAIGON(HO CHI MINH)

ついに最終目的地Ho Chi Minh(ホーチミン)に到着。


今回のこの4ヶ月間の旅、本当に地に足がついてない旅だった。
反省でもあり、成功でもあった。
予想以上に駆け足で怠惰だったIndia(インド)、暇で退屈とも言えたNepal(ネパール)、
豪遊としか言いようがなかったThailand(タイ)、二度目は別になCambodia(カンボジア)。

旅に関しての当初の目標だったのは以下。
1.ヴァケーション
2.ブロンド娘を落とす

一つ目のヴァケーションに関しては、地に足ついてないところかしても大成功。
二つ目はブロンド落とすには実力不足、タイ娘に落とされる。いやアジアの女性はすばらしい。

まあ、ヨシとして良いですかね。

今回の旅で、こういう旅の仕方はこれで最後にしたいと痛感した。
決して今回の旅が悪いものだったわけではないし、本当に最後か聞かれたら、
躊躇するところもあるけども。

まずはこれが自分の正業と自信を躊躇なく言えるものを身につけて、
「遊びは遊び、仕事は仕事で、しっかりと分別をつけられる」
これが僕の目指すところだと知った。

旅行中の宿泊先やレストランにしても、汚くっても、不味くっても、安さを優先するのではなく、
コスト・パフォーマンスを優先して選べるような人間になりたいし、
今はこれ以上の贅沢はできない時けど、
何時だって身の丈にあったところで精一杯なのが僕なんだろうけど、
身の丈が伸びて、目の着けどころがよければ、
どこでも高いクオリティーを新感できる。
人それぞれ価値観はあるけど、
僕は、その為に頭をヒネったり、苦労しても損はないように思えます。

そう実感したこともそうだし、楽しめたのもそうだけど、
考えり、悩んだり、思い知ったり、これって暇の賜物ですね。
それにHo Chi Minh(ホーチミン)に到着して不安は吹っ飛びました。
友人や諸先輩方に相談したり、色々とアドバイスをもらったり、励ましまで頂けてのことと思います。
これから皆様それぞれからの期待という責任を果たさねばならない僕ですが、
これまでの人生が無駄にならないよう、頑張りますわ。
今は少しでも早く、このHo Chi Minh(ホーチミン)でスタートラインに立てるよう、
行動しようと思ってます。
段取り八分じゃないですけど、今年は準備の年になりそうです。
6月から4ヶ月ほど日本にも出稼ぎに帰国予定です。

これで旅ブログは一先ず完結となりますが、
これからもYM BLOGは続けていきますので、松田 祐一をよろしくお願い致します。

2010年2月11日~2010年2月18日-TRAVEL-SIEM REAP

約4年振りの越境、Siem Reap(シェムリアップ)到着。

快適だった、何もかもが発展していた。
国境の穏やかな雰囲気、整備された道路、グレード・アップしたバス。
本当にここはCambodia(カンボジア)なのか、そんな疑問を抱くほどに。

おそらく日本人には一番有名なTakeo Guest House(タケオ・ゲストハウス)に。
以前はバスによって、他のゲストハウスに連行されたが、今はしっかりバス・ターミナルまで。
もちろんそこにはコミッション狙いのドライバーが待ち構えていた。
ここで中国在住のスイス人ダニエルと出会い、宿まで。

僕はAngkor(アンコール)遺跡は既に見ているので今回は滞在だけ、
到着翌日にバス・チケットを購入して、翌々日には移動の予定だった。
が、何とHo Chi Minh(ホーチミン)でお会いする予定だった知人が、
わざわざSiem Reap(シェムリアップ)までお越しになりました。
この方サトーさんは中国で独立起業された方で現在は中国人の奥様も一緒に
旧正月の旅行中。歳も私の父親より多少若い方で何かと相談、
親戚の様なお付合いをさせて頂いております。

Ho Chi Minh(ホーチミン)行きを急ぐつもりだったけど、
その理由もなくなったので、旧正月が明けるまで滞在することにしました。
街にはApple StoreならぬiOne Storeもあるし、小規模のショッピング・モールもありました。
懐かしいレストランをまわったりと静かなSiem Reap(シェムリアップ)完全に
観光気分を味わえました。

そう懐かしの地元のネーちゃん達に囲まれた、あのディスコZone Oneも行きましたが、
店内を女性コンシアが尋ねて歩くという不気味な店になっておりました。

あと残念な話があります。
ちょうど4年前に世話になった宿お抱えのドライバー、タイガーにも会いたかったのですが、
宿の主人に尋ねると2年前に病気で他界されたとのことでした。
心からお悔やみ申し上げます。

全く関係ない話ですが、
最近、束ねてる髪の毛の中に6本も白髪を発見しました。
毛先から白くなっていて、根元の近くは真っ黒です。
やっぱり白髪は白髪ですか?

いよいよホーチミンへ続く

2010年2月1日~2010年2月11日-TRAVEL-BANGKOK

再び、暑いBangkok(バンコク)へ戻ってきた。
Chiang Mai(チェンマイ)でマッサージの修行中のリュウタロー君も1週間後にインドへ戻る為、
Bangkok(バンコク)に戻ってくる。
それにしてもBangkok(バンコク)の暑さは以前にも増して強烈だ。
僕の宿泊する部屋には窓はなく、日本製の扇風機一台。
とても暑さを凌げない。日に4回は水シャワーを浴びてる。

ところで、約4年前の話だが、僕はこのBangkok(バンコク)で4人の日本人と知り合っている。
その中のお一人、タカさんがBangkok(バンコク)にいらしてるとのこと、
4年振りに再会の機会があった。
ショッピング・モールで軽く買い物とお茶してタイ人の女の子眺めたり、
Kaosan Rd.(カオサン・ロード)近辺の飲み屋でビールといった短い時間だったが、
皆、経験はあると思うが、再会というのは素敵なものだと感じた。
人との繋がりは人生で一番の財産かもしれない。

週末には、Chiang Mai(チェンマイ)から戻ってきたリュウタロー君が
相変わらず調子のいい声で電話を掛けてきてくれた。
彼は2日後にはインドに戻るので、まあ最後の晩餐じゃないけど、
とりあえず街へ出た、Go Go Barを2軒ハシゴして、新手のカフェからMPに直行、飲んで遊んだ。
僕もしばらく文明とは疎遠になるので遊び納めのつもりで。

知人から訪越の知らせがあり、僕も急ぎ足で東へ進むこととなった。
陸路での移動となるが、国境からSiem Reap(シェムリアップ)までの移動は、
India(インド)、Nepal(ネパール)よりも酷い状況だったが、
期待が膨らむ。

が、予定通りには進まず、10日のバスに乗り遅れた。
実は先日、カフェで知り合ったタイ人の子と電話番号交換していたんですけど、
9日の夜はディスコ行って、飯食ってと、はっちゃけてしまいました。
バスは何とか旅行会社に掛けあって日付変更にしてもらったからいいが。
これじゃカッコいい三十路を目指す僕としては、
だらしない、ただのオジさんです。

シェムリアップに続く

2010年2月4日木曜日

2010年1月27日-2010年1月31日-TRAVEL-CHIANG MAI

約12時間のバス移動で午前8時にChiang Mai(チェンマイ)に到着。

街全体は4年前とは違う雰囲気で戸惑ったが、旧市街内はそう変化はなかった。
以前にも泊まったBanana Guest House(バナナ・ゲストハウス)に宿をとった。

今回のChiang Mai(チェンマイ)滞在は、
Varanasi(ヴァーラーナシー)で遊んだリュウタロー君との再会、豪遊。
電話の彼の話ではBangkok(バンコク)の夜遊びでヒドイ目にあったらしい。
というのも、彼は初のThailand(タイ)滞在、情報なしの煩悩の塊で、
良くも悪く有名なBangkok(バンコク)のPatpong(パッポン)に一人行き、
薄暗い店で突貫工事の済んだおじさんと意気投合してしまったのである。
一応、暗闇の中では杉本彩だったらしい。
僕の友人の一人(現在革職人)は、Bangkok(バンコク)滞在中に同じような状況から、
最後までお付き合いしたことがあるが、引っ掛かったのはリュウタロー君で二人目である。

こんなにすばらしい夜遊び大国で、聞き捨てならないと、
初日から夜遊びを、盛大に案内した。
Bangkok(バンコク)、Chiang Mai(チェンマイ)と下品な遊びが続いているが、
言い訳をさせて頂くと、目の保養が少ないインド、ネパールの中央アジア帰りの多くのシングル男児は、本当に煩悩の塊である。止まらない夜でハジけてしまうのである。
日本に比べれば、半分位の値段で遊べるが、毎日行くので金がいくらあっても足りない、
ある程度の自己抑制、自己節制が大切だと思う。

それでも、やはり楽しい夜遊び、
MP(マッサージ・パーラー)、Go Go Bar(ゴー・ゴー・バー)を渡り歩いた。
Web Albumにもアップしてるが、タイ女性の隣で僕の鼻の下は伸びっぱなしだった。
最終日の前夜は、Bangkok(バンコク)からのバスが一緒だったカズミちゃんとばったり会い、
僕、リュウタロー君、カズミちゃんと、バーで一人盛り上がるChiang Mai(チェンマイ)在住のロバートさん(54歳)とGo Go Barへ。
セクシー・ショーでインド人男性の観光客が晒し者になっていた。

この日、一軒目の店は週末で客が多い、あきらかに需要過上。
ロバートさんとカズミちゃんが帰るのを待ち、リュウタロー君と喫煙室で飲んでいた。

店を出たのは午後11時過ぎ、すっかり前日遊びに行った店の子との8時の約束を忘れていた。
遅れながらも店に出向いたがいなかった。涙
リュウタロー君は前日遊んだ子(こちらの子も暗闇では杉本彩らしいが、僕の中では憲さん)を隣に、「今日はやめときましょー、Bangkok(バンコク)に楽しみはとっておきますわ!いや、やっぱいいですか?」
駄目人間まっしぐら、僕は一人ビール煽っていたが、
気付けば不良っぽい女の子と喋っていました。
そんなこんなで、店のママに会計して僕等と憲さんと不良を連れて、
ディスコ、レストラン、不良のアパート。
不良は、朝見たら癒し系派手なおばちゃん風でした。

お酒は恐いです。

さすが微笑みの国、笑えるネタは豊作。
あとからしたら、くだらなさ、情けなさで一杯で新年から何やってんのってところだけど、
また悪魔が肩越しに囁くんですね。
そんなこんなでChiang Mai(チェンマイ)滞在では午前0時以前の帰宅する日はなかった。

バンコクに続く

2010年1月23日-2010年1月26日-TRAVEL-BANGKOK

23日の午前7時、僕はKathmandu(カトマンズ)の国際空港で
午前11時発のフライトのチェック・インを待っていた。
この日、Delhi(デリー)経由Bangkok(バンコク)の飛行機はDelhi(デリー)が濃霧の為、遅延。
当初の予定ではDelhi(デリー)での待ち時間が2時間。
確実に間に合わない。
そしてチェック・インの際に、遅延を理由に他航空会社へ変更。
おかげで午後発の直行便になり、実質Bangkok(バンコク)着時刻も1時間だが早まった。

余談だが、Royal Thai Airlines(タイ航空)は凄い。エコノミーだが座席はRECALO(レカロ)、
そしてアテンダントは美女ぞろい。
ちょっと優雅な空路を満喫し、無事Bangkok(バンコク)到着。
Kaosan Rd.(カオサン・ロード)のバス停では、
Kathmandu(カトマンズ)で一緒だったユウヤ君が待っていた。
宿に荷物を置いて、ユウヤ君は翌日帰国なので最後に煩悩を晴らす為、
午後9時から歓楽街へとタクシーを走らせた。

2日目の晩には、6年前に日本で僕の英会話家庭教師をしてくれたDaniel(ダニエル)と再会。
彼と、彼の彼女(タイ人)と日本食レストランで過ごした。
生徒当時より、親近感が湧いた。お互い東南アジアという第三国だったからだろう。

で、肝心のVaranasi(ヴァーラーナシー)で遊んだリュウタロー君。
既にBangkok(バンコク)入して宿の名前も聞いていたが、いない。
予想はしていたが、連絡がついた時に彼はChiang Mai(チェンマイ)だった。
そういうことで、僕も向かうこととなった。

チェンマイに続く

2010年1月18日月曜日

2010年1月3日-2010年1月23日-KATHMANDU NEPAL

Pokara(ポカラ)からツーリスト・バスで約7時間の首都Kathmandu(カトマンズ)。

混雑した道路、埃と排気ガス、人の数はネパールで一番だと思う。
幾つか候補にしていた宿はあるが、一軒目のMustang Guest House(ムスタン・ゲストハウス)に
到着するや、日本人のユウヤ君が部屋のシェアを申し出てきた。
別に断る理由もないので、シェアすることにした。
僕の滞在した部屋にはベット二つ、テーブルと大きな窓があり、
シャワーは共同だがホットシャワーが使える。
ここの主人は日本に8年住んでいたとのこと、日本語も上手だった。
それにしても、日本在住歴のあるネパール人はとても多い。
しかも皆、長期で働いていたりする。

Kathmandu(カトマンズ)の露天風呂屋の日本人経営者と話す機会があったのだが、
この国では貧乏でもよければ年3万円で暮らせるそうだ。
皆、税金も払わないらしいし、仕事もホドホドで充分とのこと。
この経営者の親父は70歳、日本で35年サラリーマンをし、
早期退職と同時にNepal(ネパール)の山の魅力に惹かれて移り住んだらしい。
この話好きの親父の話は、中々面白く、奥深かった。
特に、現在の日本や他の先進国の時勢に対する話は、
日本で35年も会社一筋で働いていた人の意見とは思えなかった。
この親父の意見としては、
「日本人は金儲けにばかり躍起にならず、もっと脇目を見て生きていくべき。」と僕は理解した。
確かにヨーロッパなどでは、社会的な要因もあるが、
金儲け、仕事が中心の生き方をしている人は少ないような気がする。
世界で金儲けに走っているのは、ユダヤ人、アラブ人、中国人、そして日本人。
今は旅して遊んでいるが、僕もそうだ。
もちろん仕事をするのは楽しい、
だけど金儲けは人生の目的ではない。
目的はより充実した毎日を人に迷惑をかけず過ごすことだ。
Nepal(ネパール)の状況と日本では全く違うが、
旅している人、自国を離れ他国に移り住んだ人の話を聞くと、
色々考えさせられる。

僕は30歳を目前にして人生というものに覚悟がない。
色々、迷っている。
今回の旅の目的はVietnam(ベトナム)に行くことだが、
それすらどうなるのか予想もつかない。
人生に悩むには遅すぎかもしれない。
2010年、今年決めごとは、「自分で判断して、自分で行動する」。
唯一これだけは徹したいと思う。

話はKathmandu(カトマンズ)に戻すが、
約3週間の滞在の感想としては、
3週間は長過ぎる、意外と物価が高い、娯楽がないが、意外と便利。
なので悩める僕に大量な時間があり、色々考えることが出来た。
最初の10日間は色々と小物を買ったり、レストランを巡りお金を使い楽しみもあったが、
残りの10日間は毎日、朝からWifiサービスのあるカフェで昼過ぎまでコーヒー片手に、
PCいじくって、昼飯は決まって菓子パン、夕飯は10個30Rsの蒸したてモモと食パン2枚の生活が、
出来上がっていた。
ちなみにNepal(ネパール)で売っているヘンプ素材や綿製品の衣類やガラス細工のアクセサリーは
本当に面白い。
東南アジアの国々やインドとはまた変わった趣向があるし、それらは破格の安さだった。
裁縫技術など、手先が器用なのはすぐ理解できた。
僕はガラスのトップが付いたヘンプのネックレスとTシャツを買った。
価格は日本の1/10以下。
人への土産ではないです。(スミマセン。)
カフェなんかで各国のバイヤーが本国の社と連絡を取っている光景を目の当たりにする。
観光とリテール・ビジネスがこの国を支えているのは間違いない。

結局、体調不良が重なり、エベレスト行きは断念したが、
またチャンスがあれば、是非行ってみたいと思う。
次に向かう先はBangkok(バンコク)だが、大変楽しみだ。
India(インド)、Nepal(ネパール)を旅し、
都会育ちの僕は文明に飢えているし、
おそらくIndia(インド)で出会った連中の何人かに会うだろう。

Kathmandu(カトマンズ)で部屋をシェアしたユウヤ君も僕より一日早くBnagkok入り、
また3年前にBangkok(バンコク)Kaosan Rd.(カオサン・ロード)で知合い、
Cambodia(カンボジア)SiemRiap(シェムリアップ)でも仲良くしてもらったタカさんと再会予定、
僕が20代前半の頃世話になった英会話の
家庭教師ダニエルもBangkok在住で家に招待されていて再会予定、
またIndia(インド)Varanasi(ヴァーラーナシー)で一ヶ月間一緒にダラけ尽くしたリュウタロウ君も
2月前半にBangkok入の予定だ。
Bangkok行くのに、こんなに楽しみなのは初めての時以来。
節約もあるが、ほぼ旅の締めになるだろうから、
楽しみたいと思ってます。

バンコクに続く

2010年1月8日金曜日

2009年12月27日-2010年1月3日-POKHARA NEPAL

丸々2日間のバス移動を経て、到着したのはAnnapurna(アンナプルナ連峰)の展望で有名な

Pokhara(ポカラ)という小さな街。

ここまでの道中は本当に疲れた。
通しツーリスト・バスのチケットを購入したのだが
最初のインドVaranasi(ヴァーラーナシー)から国境の街Sunauli(スノウリ)間と、
そこからPokhara(ポカラ)まで全てローカル・バスだった。
それだけならともかく、Sunauli(スノウリ)からのバスがゼネストの影響で運休と言われ、
僕を含め6人の旅行者は仕方なしにKathmandu(カトマンズ)行きに乗車。
途中、山中の街でPokhara行きのバスを発見。
慌ててバスを飛び降り、乗り換え。
案の定、座席はなく外人6人屋根の上で4時間移動することとなった。
中々出来ない経験だが、寒いし、乗り心地は最低。
二度とごめんだ。

Pokharaで年越しとなったが、体調は優れず部屋にいる時間がほとんどだった。
それでも、雲さえ出ていなければ最高の景色が拝める。
飯もソコソコおいしいし、インドとは違い商店で酒を置いている。

1週間の滞在で宿の主人と仲良くなり、後半は毎日一緒に飲んだり、
バイクでウロウロしたり。最終日は主人の嫁さんの手料理を振舞ってもらい、
真っ直ぐ歩けないほど、地酒を飲んだ。

1月23日にKathmandu(カトマンズ)からBangkok(バンコク)へ戻る予定で、
山は体調次第。まだまだ絶好調とは言えないし、山中でぶり返したら最悪だ。
じっくり検討したいと思う。

カトマンズに続く

2009年11月28日-2009年12月17日-VARANASI INDIA

ついにやって来たUttar Pradesh(ウッタル・プラデーシュ州)Varanasi(ヴァーラーナシー)。

これまでのインド旅行の反省と、期待を込めて来たが、やはりインドだった。
他の地域との違いは、外国人旅行者が狭いエリアに集まっていて、
そこで働く現地の人間も良きも悪きも心得がある。
今回のインド旅行の中で一番長い滞在となった。
僕が迷路のような旧市街の道順、お店や宿などを把握するのに、
さほど時間は掛からなかった。
むしろ現地のディーラー、客引き、ドライバー共は、
毎日悪態ついても中々俺を覚えない。
10日間ほど毎日、何か言われる度に10倍返し位で文句をつけてたら、
さすがの連中も声を掛けて来なくなった。

もちろん初めて見る奴らは、声を掛けてくる。
別段、毎日怒りまくっていたわけではないけど、
インドに限らず、こういうところの連中は、
どいつもこいつも「ジャパニーズ?」「コリアン?」から始まる。
相手にしてると疲れるので、基本無視。

2回目は応戦して絡む。

3回目、相手が引くまで絡む。

3ストライクアウト。

ガート沿いの火葬場では一度、19、20歳位の兄ちゃんともめた。
よく話に聞く、「上の方が良く見えるから、一緒に来なよ」の類だった。
まあ、相手も応戦し、ウダウダ言ってきて、
久々にキレそうになったが、恥ずかしいし、火葬場なので、
キレる直前で抑えた。
当然、そんなガキに負けるわけもなく、文句言い倒して黙らせた。
近くで見てた金髪ネーちゃんが心配して話しかけて来てくれた。
この何秒間かの会話の中で、僕はかなりの優越感に達していた。

恋の予感すら感じた。

が、
連れのイケメンがおった。人ごみの中からヒョッコリ出てきた。

まあ、そんなオチは予想していたけど、
虚しく退場を余儀なくされた。

それ以外にも、最初に泊まってた宿でチェックアウトの際に鍵を返し忘れてて、
丁重に返しに行ったところ、
雇われのデブの番頭が後ろからいきなり引っ叩いてきて、
鍵代の弁償を要求してきた。
この件に関しては、僕に責任があるわけだが、
引っ叩いたことを引き合いに弁償はせず、
問題があれば警察に相談するよう冷静に応じた。

今のとこインド人相手には百戦錬磨だが、
友人や現地の日本人にも必要以上に絡まないよう言われている。
そのとおりだ、そこらのガキやマフィアより、たちが悪い警察が出てくる可能性があるからだ。

まあ、悪い奴らだけではない。
面白い奴も沢山いるインド。
行き過ぎた日本人を気に掛ける素朴で垢抜けない連中も多い。
そんなVaranasi(ヴァーラーナシー)にハマっている自分を感じた。
ともかく、あらゆる意味でVaranasi(ヴァーラーナシー)は面白いところとツクヅク感じた。

ポカラに続く

2009年11月24日-2009年11月26日-MUMBAI INDIA

インド経済の中心都市、ビジネス、ファッション、ボリウッド、ナイトライフ、スラムと高層ビル。

それがMaharashtra(マハーラーシュトラ州)Mumbai(ムンバイ)。

本当なら同州Pune(プネー)に滞在の予定だった。
Pune(プネー)に早朝到着後、列車予約のオフィスに出向いたが、
案の定、Uttar Pradesh(ウッタル・プラデーシュ州)
Varanasi(ヴァーラーナシー)のチケットは取れず仕舞い。
そうなるとここに数週間の滞在を余儀なくされるので、
仕方なしにMumbai(ムンバイ)まで、再び列車を乗り継いだ。
到着早々、列車予約オフィスで、
ここには外国人用の特別枠があるので、2日後の列車予約した。

Mumbai(ムンバイ)での宿探しはそれほど難しいことはなかった。
どこもかしこも高いだけ。
予想以上だった。
2泊だけだったので、
諦めて駅からも近いWelcome Hotel(ウェルカム・ホテル)一泊1500Rsの宿に入った。

しかし、なんてことだ。
混雑を極める道路、スラムの人達。
酷いなんてものではない。
唯一、部屋から眺めるCST駅が好きだった。

インドに入国し1ヶ月が過ぎたが、ずっと不思議に思っていることがある。
駅なんかで列車を待っていると、荷物運びの連中が客に罵声を浴びせながら通り過ぎていく。
列車内でもチケット確認の乗務員はやたら偉そうだ。
インドではサービスを購入した客より、
お金を受け取りサービスを提供する側の人間の方が立場が上なのか?
不思議だし、時折腹立たしい。
このような光景は、列車だけに限らず、至る所で目の当たりにする。
非効率な環境がこの国にはある。
外国人である僕はこのような事態にあった時は、
決まって嫌味を言っとく。
僕にはカーストは関係ないから、相手も調子を狂わす。

警察官なんかは特にパワー・ハングリーも良いとこで、
金を取ろうとしてくる。
特に夜とか朝方。
色々とこじつけてくるが、
「じゃ、署まで言って話そうか?」
で、話は着く。勿論、潔白であればの話だが。

ともかくムカつくことも多いインドだけど、これがインドだ。
理解するのに、そう時間は掛からなかった。
楽しむしべし。

ヴァーラーナシーに続く

2009年11月21日-2009年11月23日-PANAJI INDIA

Goa(ゴア州)Panaji(パナジ)、ここはインド人を除けば、

ラテン・アメリカな雰囲気を持ち漂わせてる。

殆どの旅行者は北のビーチへの玄関口としてしか思っていないようだ。
かつてはポルトガルに統治されていたらしいが、
街並みはパステル色の建物が並んでいるし、
僕の宿泊する宿にもイエス・キリストのポスターや十字架像が飾られている。
この宿の建物はまさにポルトガル風?な一軒家。
老夫婦が経営していて6室しかなく本当に小さい。
部屋はシンプルだが広々としていた。
祖父母の家に遊びに来たような感じがした。

しかし、ここはGoa(ゴア州)、宿泊料金はこれまでとは全く違い高い。
宿にチェック・インを済ませ、早速バス・スタンドにある列車の予約オフィスに出かけた。
3日後月曜日のMadgaon(マドガーオン)発、
Maharashtra(マハーラーシュトラ州)Pune(プネー)行きのTatkalチケットを入手。
この時点でTatkalチケットの意味は全くわかっていなかった。

街は狭く歩いて周れてしまう。
ここには行くべきというような場所はないが、
ともかくインドでない、この街並みがすばらしい。

ここから北に進むと有名なビーチがいくつも有り、
パーティー、ビーチ=Goa(ゴア)という代名詞と言っても過言ではないと思う。
僕は遠慮して違う方向に進むが、
何故、わざわざインドに来てまで?
と、いつも思う。
自国、またはもう少し違った国もあるだろうに。
わからない。
僕が、もし一晩中レイヴ・ミュージックが鳴り響くようなところに行くなら、
真っ先にスペインとかそこらに向かう。

そんなこんなで、あっという間の2泊3日が過ぎて行った。

プネーに続く

2009年11月18日-2009年11月21日-GOKARNA INDIA

ついにGokarna(ゴーカルナ)に到着。

道のりは列車とバスを乗り継いでと、多少複雑だった。
ガイドブックにも載っていないし、ネットでの情報を頼りによく来たものだ。

ここの町は大変小さく、町というより村だ。
まあ、それでも必要なものは全て揃うので、問題はない。
宿は丘を越えてビーチのコテージと決めていたので、
到着後、最初に行ったのはアルコールの仕入れだった。
ローカルのウィスキーをボトルで2本購入した。
それにしても本当に真夏の陽気で、荷物を担ぎ、丘を越え、ビーチで宿探しも容易でなかった。
家族経営の物静かなShanthi Guest House(シャンティ・ゲストハウス)400Rsのコテージを確保できた。
他のコテージは600Rsで汚らしい。

ここのビーチは本当に静かだ。インド人は少なく、殆どが欧米人。
ビーチ沿いのカフェでビール片手に寛いでると、必ず欧米の旅行者に話しかけられる。
それほど仲良くなったわけではないけど、
オーストラリアの若者マシューと夕方、旅について語らえたのは楽しかった。
滞在中は、
朝起きて、町まで出かけ土産屋を見ながら、村の写真を撮って、
昼飯は町のホテルの一階にある
ベジタリアン・レストランで決まってマサーラー・ドーサーを食べていた。
昼食後、コテージに戻り、筋トレ、シャワーを浴びて、
ビーチで昼寝。
夕方はビーチ沿いのカフェで一杯やりながら、ターリーを頂く。
そんな流れだった。
大変、優雅で怠惰な生活だが、
そろそろビーチにも飽きてきた。

ここを離れ北上するなら、Goa(ゴア)には一度行かなくてはならない。
その後、Central Karnataka(カルナータカ州中央部)のHampi(ハンピー)に寄り道するか、
Maharashtra(マハーラーシュートラ州)に直行するか、
いずれかの二つの選択肢がある。
いずれにしても物価の高いGoa(ゴア)に長居は出来ない。
でも、列車チケットが思惑通り確保できるとは限らない。
行ってみるしかない。

ゴアへ続く

2009年11月11日-2009年11月17日-KOCHI INDIA

Trivandrum(トリヴァンドラム)から約4時間の一般座席の列車の旅で

Ernakulam Jn. Station(エルナクラム・ジャンクション駅)に到着。
今回は平和な移動だった。
ここKochi(コーチ)は、いくつもの島と半島で成り立っていて、
列車が着くのは本土のErnakulam(エルナクラム)。

安宿が集まるのは本土と、
フェリーという名のポンコツエンジンを載せたボートで島に渡った
Fort Cochin(フォート・コーチン)。

本土の喧しさに僕は多少不便だがFort Cochin(フォート・コーチン)に向かった。
正解だった。何とも静かなFort Cochin(フォート・コーチン)。
ヨーロッパの田舎町みたいな風貌で、インドとは思えない雰囲気。
もちろん住んでいるのはインド人だが、この旅に一息入れられる。

家族経営の一軒家の宿で
Spice Holidays Homestay(スパイス・ホリデーズ・ホームステイ)に泊ることにした。
物価が高く怪しく汚い宿でも300Rsはする、僕は450Rsでこの宿を決めた。
部屋は綺麗だし、中庭と共有スペースがあり、他の旅行者から情報も入る。
オーナーが物凄く親切で良かった。
要らぬ押売りはしてこないし、物静かな人だが、何より親切の言葉につきる。
3日目の朝には部屋の掃除とシーツとタオルの交換もしてくれた。

ここでの毎日は本当にゆっくりしていて、
朝ゆっくり起きてはチャイを飲みに行って、
ついでにサモサを持ち帰りで買って部屋で昼飯したり、
海岸沿いの遊歩道を散歩しながら夕陽を見たり、
酒屋がないので、我慢できなくなったら、
その辺のレストランとかカフェ(ライセンスなし)でビール飲んで、
夕飯はパン買ってきて軽く済ませる。
本当に静かで一時の休息だ。
2日目には、本土の駅まで
次の目的地Karnataka(カルナータカ州)Gokarna(ゴーカルナ)に行く為の
寝台席を予約しに行った。
同じ宿の旅行者達やオーナーから色々とGokarna(ゴーカルナ)の行き方を聞いたし、
ネットでも調べて見たが、
どうやら最寄駅のGokarna Rd. Station(ゴーカルナ・ロード駅)は、
殆どの列車が停車しないらしい。
Kolkata(コルカタ)で購入したインド全土の列車の時刻表にも、この駅は記載がない。
寄ってその先のKarwar(カーワー)というGoa(ゴア州)との州境からすぐ南まで行って、
Goa(ゴア)からGokarna(ゴーカルナ)を走っている州営のバスを拾うしかない。
無事着けるのか唯一の不安を抱えながら、
Fort Cochin(フォート・コーチン)では過ごしていた。

ゴーカルナに続く

2009年11月9日-2009年11月11日-TRIVANDRUM INDIA

Kanyakumari(カニヤクーマリ)からTrivandrum(トリヴァンドラム)まで

2時間の一般座席の移動。またしても一悶着あった。

途中停車駅、本当に農村部の駅で危険な香りがするローカルの連中が乗車してきた。
既に座席は満席で、僕は始発駅乗車なのでしっかり確保していた。
そのローカルの連中のうち一人が満席長椅子に無理矢理わり込んでいった。
僕には直接関係ないが、他の乗客らも迷惑そうに、
何も言えないみたいな雰囲気だった。
そのわり込んでいった一人が突然、僕を見ては何か言ってきた。
手振りの雰囲気では「お前は立って席を連れに譲れ」みたいな感じだった。
当然無視。
さらに何か言ってくる。
むかついた。
キレそうになった。
そして応戦した。

「やかましい!だまっとれ!このボケがどつくぞ!」ばりに言ってやった。
相手が引いた。が、周りの乗客は相変わらず迷惑そうにだんまりしてる。
まともそうな一人に連中のことを聞いてみたら、評判の悪い農村の部族民らしい。
僕には知ったことではない。
こんなガリガリの連中、間違っても刺し違えられる自信はあった。
とりあえず、かなりムカつく連中だったので、
下車時に捨て台詞吐いてきた。

インドの列車は本当に面倒が色々ある。
あとになれば笑い話だけども。

昼過ぎに到着した僕は
Kerala(ケーララ州)の州都Trivandrum(トリヴァンドラム)で宿探し。
またしても手こずった。
部屋がない。
11月から3月の南インドはハイシーズンと言うけども、
これほどまでとは思いもしなかった。
結局、部屋を確保出来たのは
世界に名高いYWCA International G.H.(YWCAインターナショナル・ゲストハウス)。
一泊575Rs高い。エアコン、ホットシャワー、ケーブルTV付き。
夜に宿の若いスタッフがエアコンは別途1000Rs/日だと言いに来たが、
使わないと言っておいて、実際は使った。

本当に地味な州都で、おそらく旅行者にとってここは、
Kovalam(コーヴァラム)とかVarkala(ヴァルカラ)の
ビーチリゾートへの玄関でしかないのだろう。
駅前の通沿いにあるPrime Square(プライム・スクウェア)という
レストランのマサーラー・ドーサー/24Rsは驚くほど美味かった。
完全にドーサーにハマってる。

バケーションのつもりが、本当に疲れ始めている僕。
ゆっくりしたいところだが、安い部屋もなければ進むしかない。
Varkala(ヴァルカラ)に行こうか、本当に迷ったけど、
この辺り雨が多いので、もう少し北を目指して、
Kochi(コーチ)に向かうことを決めた。
最近、時間があればガイドブックを読んでいて、
West Bengal(西ベンガル州)に興味を持ち始めている。
ヒマラヤ山脈の眺望と
Derjeeling Himalayan Railway(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)だ。
Derjeeling(ダージリン)からNepal(ネパール)にも陸路で入国できる。

まだ南でパッとしたところを見つけられていないので気が早いが、
計画に加えておくことにした。

旅はまだ1カ月しか経過していないし、
まだ南部も楽しみにしている所が残っている。
高い、高いと言っても知れているし、
もう少しゆったりとしよう。

カナダの東西横断もそうだったけど、ここはデカいインドだ、
何だかんだと3、4か月は掛かるだろう。

予想もしなかったマサーラー・ドーサーのおかげで元気が出てきた。

コーチに続く

2009年11月7日-2009年11月9日-KANYAKUMARI INDIA

早朝、Kanyakumari(カニヤクーマリ)に向かう列車の中で

目を覚まし窓の外に目をやると、
物凄い数の巨大な風力発電機が並び、しっかり稼働している。

風力発電機で思い出すのが、
数か月前まで働いていた仙丈ケ岳だ。
頂上直下にある仙丈小屋にもかなり小ぶりだが風力発電機がある。
話によれば風力発電機は設置も維持にもコストが大変掛かるらしい。
特に蓄電用のバッテリーは高価で、更に現在の技術を持ってしても3年が寿命らしい。

そんな物が、世界最大の貧民を抱えるインドの南の果てで林立し
稼働している光景は不思議だった。

極貧生活を送るインド国民は3億5000万人以上と言われていて、
貧困層の75%は農村部に暮らし、
残る大多数は都市部のスラムに住んでいるとのこと。
平均賃金が約$700で、全人口の40%は1日$1以下で暮らしている。
そんな状況でいくら電力発電を行っても、あきらかに非効率だ。
政治のことはよくわからないが、
僕が知っている国の栄え方とは大きく順序が違う。

そんなことを考えながらKanyakumari(カニヤクーマリ)に到着したのは午前7時。
既にオートリクシャーのドライバー達が待ち構えていたが、
全て無視し、バーザール周辺まで宿探し。
あらかじめ調べておいた宿数件、全て部屋はあったが時期的なものか値段が高い。
仕方ないので、より汚い感じの宿を周り何とか200Rsで部屋を確保。
シャワーを浴びて、岬の先を散策した。
ここはベンガル湾とインド洋とアラビア海が出合うところで、
聖なる海?で沐浴する巡礼者が沢山来ていた。
連日の移動で疲れていた僕は感動に及ばなかったが、
まあ、そういう土地だ。

食事はバーザール周辺のHotel Saravana(ホテル・サラヴァーナ)内の
レストランが安くて美味い。いつ行ってもターリーが準備出来ていないのだが、
初めてドーサーを食した。
ドーサーは大き目のクレープのようなもので、
僕のお気に入りはマサーラー・ドーサーだ。
香辛料で味付けしたジャガイモをドーサーで包んでいて、
おかわり自由のダールのスープと野菜のピューレが付いてくる。
量も味付けも値段も僕の旅行には妥当な一品だった。
足りない時はプーリーという薄焼きのパンを頼むのもいい。

ここでもビールを売ってる酒屋はなく、地酒のウィスキーを飲むことになった。
2日目にアーシュラム(修行道場)のゲストハウスに移った。
3人部屋のドミで15Rsとかなり安いが、飲酒、喫煙は固く禁じられているので、
コーラのボトルに残ったウィスキーを足して持ち込んだ。

そんなに長居するようなところでもないので、3日目には出発。
Kerala(ケーララ州)Trivandrum(トリヴァンドラム)に向かった。

トリヴァンドラムに続く

2009年11月3日-2009年11月6日-CHENNAI INDIA

Bhubaneswar Station(ブバネーシュワル駅)に列車が入ったのは21時過ぎ、

一般座席の車両に向かうと扉が開かない程、大混雑している。
違う一般座席の車両に行くが、こちらも大混雑。
かろうじて開きかけの扉に行くや、
扉の向こう側に入ってくんなばりに座り込んでいる連中。

乗らないわけにはいかないので、
扉を叩き、デカい声で"一先ず立て!"と叫んだ。
嫌そうな顔つきで立ち上がるインド人どもを気にせず、
80Lのバックパック背負った僕は無理矢理入り込んだ。
座席の方は通路も荷物置きもインド人が詰め込んでいる。
出入口からトイレのデッキ付近ももう入れない位だった。
当然座り込むことすら出来ない状態。
事実この状態で21時間だった。
便所もインド人も臭いし、僕も臭いだろうけど。
やたら密着して俺の肩で寝ようとする奴もおるし、
タバコ吸うために何度も便所に来る奴もおるし。
何度も途中下車しようかと思った。
が、動きが取れない。
途中停車駅では列車に跳ねられて、首と腕がぶっ飛んだ遺体を見るし。
丁寧にもしっかりバラバラの体を並べてあって、片目は飛び出している。
ただでさえ臭い車両に陽にあたった遺体の腐敗臭が風にのって入ってくる。

本当に吐き気がした。
呪われた21時間だった。
ストレス困憊、睡眠不足、極度の披露ながらも
Tamil Nadu(タミル・ナードゥ州)Chennai(チェンナイ)に到着。
ピリピリしながらオートリクシャーを拾って、
Triplicane(トリプリケーン)に向かった。
どの運転手も手数料目当てで宿に連れて行こうとするが、
一切耳を貸さず、
目的のParadise Guest House(パラダイス・ゲスト・ハウス)に着いた。
広く清潔な部屋は専用バスルームにダブルベットとケーブルTV付きで300Rs。
特別、長居する必要すらない都市だと思うが、
ともかく地獄の21時間の後だったので3泊することにした。
到着した日は、シャワーだけ浴びて熟睡した。

もう長時間の一般座席に懲りたので、外国人専用枠を設けてる窓口で
Kanyakumari(カニヤクーマリ)までのエアコンなし寝台を翌朝購入しに行った。
無事、予約も取れたし、気分転換に飯でもと、
レストランで昼からターリーを食べた。
相変わらず強烈に満腹になったけど、ろくに飯も食ってなかったので幸せを感じた。

この時点で、僕が知っていて実際に食したインド料理のメニューは
ターリーのみだった。
色々聞くのも面倒だし、
あらかじめ調べておいても実際メニューを読んでも忘れてるし。
何せ、ターリーはおかずも米もおかわり出来る上に安い。
但し、本当に強烈に満腹になる。

本当に見所のない町だが、唯一Marina Beach(マリナ・ビーチ)は
朝夕に行くと綺麗なところだった。

すっかり元気になり、
いよいよインドの地の果てKanyakumari(カニヤクーマリ)に向かうのだけど、
コルカタからインドの東部を南下してきて、
落ち着けたのはPuri(プリー)だけだった。

カニヤクーマリに続く

2009年11月1日-2009年11月2日-BHUBANESWAR INDIA

Puri(プリー)から直接南下する列車がない為、
立ち寄ることとなったBhubaneswar(ブバネーシュワル)。
Puri(プリー)からは列車で2時間程度なので予約不要の一般座席に乗って来た。

安宿は駅近くのCuttack Rd.(カタック・ロード)沿いに沢山ある。
何故かわからないが、どこも満室だった。
仕方なしに、駅前の並びにある大型中級ホテルで
大韓航空みたいなロゴ看板を掲げているHotel Keshari(ホテル・ケシャリ)に宿泊。
望んでもいなかったエアコン付きのツインしか空きがなく、
見っともない位、値踏みして2100Rsの部屋を1500Rsで手を打った。

部屋は豪華だが、カビ臭く、大きな窓は鳩の糞で汚れていた。
安宿で部屋がない時点でかなり凹んだが、ともかく早くこの町を離れたかった。
ここから21時間掛けてChennai(チェンナイ)まで進むのだが、列車の寝台も満席。
見所も大してないこの町で安宿の部屋もなく、
お金を張り込んで中級ホテルに泊り続けるわけにはいかない。

翌日の晩の列車に乗るのを決心するまで時間は掛からなかった。
予約不要の一般座席で21時間、好奇心もあった。

チェンナイに続く