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2010年1月18日月曜日

2010年1月3日-2010年1月23日-KATHMANDU NEPAL

Pokara(ポカラ)からツーリスト・バスで約7時間の首都Kathmandu(カトマンズ)。

混雑した道路、埃と排気ガス、人の数はネパールで一番だと思う。
幾つか候補にしていた宿はあるが、一軒目のMustang Guest House(ムスタン・ゲストハウス)に
到着するや、日本人のユウヤ君が部屋のシェアを申し出てきた。
別に断る理由もないので、シェアすることにした。
僕の滞在した部屋にはベット二つ、テーブルと大きな窓があり、
シャワーは共同だがホットシャワーが使える。
ここの主人は日本に8年住んでいたとのこと、日本語も上手だった。
それにしても、日本在住歴のあるネパール人はとても多い。
しかも皆、長期で働いていたりする。

Kathmandu(カトマンズ)の露天風呂屋の日本人経営者と話す機会があったのだが、
この国では貧乏でもよければ年3万円で暮らせるそうだ。
皆、税金も払わないらしいし、仕事もホドホドで充分とのこと。
この経営者の親父は70歳、日本で35年サラリーマンをし、
早期退職と同時にNepal(ネパール)の山の魅力に惹かれて移り住んだらしい。
この話好きの親父の話は、中々面白く、奥深かった。
特に、現在の日本や他の先進国の時勢に対する話は、
日本で35年も会社一筋で働いていた人の意見とは思えなかった。
この親父の意見としては、
「日本人は金儲けにばかり躍起にならず、もっと脇目を見て生きていくべき。」と僕は理解した。
確かにヨーロッパなどでは、社会的な要因もあるが、
金儲け、仕事が中心の生き方をしている人は少ないような気がする。
世界で金儲けに走っているのは、ユダヤ人、アラブ人、中国人、そして日本人。
今は旅して遊んでいるが、僕もそうだ。
もちろん仕事をするのは楽しい、
だけど金儲けは人生の目的ではない。
目的はより充実した毎日を人に迷惑をかけず過ごすことだ。
Nepal(ネパール)の状況と日本では全く違うが、
旅している人、自国を離れ他国に移り住んだ人の話を聞くと、
色々考えさせられる。

僕は30歳を目前にして人生というものに覚悟がない。
色々、迷っている。
今回の旅の目的はVietnam(ベトナム)に行くことだが、
それすらどうなるのか予想もつかない。
人生に悩むには遅すぎかもしれない。
2010年、今年決めごとは、「自分で判断して、自分で行動する」。
唯一これだけは徹したいと思う。

話はKathmandu(カトマンズ)に戻すが、
約3週間の滞在の感想としては、
3週間は長過ぎる、意外と物価が高い、娯楽がないが、意外と便利。
なので悩める僕に大量な時間があり、色々考えることが出来た。
最初の10日間は色々と小物を買ったり、レストランを巡りお金を使い楽しみもあったが、
残りの10日間は毎日、朝からWifiサービスのあるカフェで昼過ぎまでコーヒー片手に、
PCいじくって、昼飯は決まって菓子パン、夕飯は10個30Rsの蒸したてモモと食パン2枚の生活が、
出来上がっていた。
ちなみにNepal(ネパール)で売っているヘンプ素材や綿製品の衣類やガラス細工のアクセサリーは
本当に面白い。
東南アジアの国々やインドとはまた変わった趣向があるし、それらは破格の安さだった。
裁縫技術など、手先が器用なのはすぐ理解できた。
僕はガラスのトップが付いたヘンプのネックレスとTシャツを買った。
価格は日本の1/10以下。
人への土産ではないです。(スミマセン。)
カフェなんかで各国のバイヤーが本国の社と連絡を取っている光景を目の当たりにする。
観光とリテール・ビジネスがこの国を支えているのは間違いない。

結局、体調不良が重なり、エベレスト行きは断念したが、
またチャンスがあれば、是非行ってみたいと思う。
次に向かう先はBangkok(バンコク)だが、大変楽しみだ。
India(インド)、Nepal(ネパール)を旅し、
都会育ちの僕は文明に飢えているし、
おそらくIndia(インド)で出会った連中の何人かに会うだろう。

Kathmandu(カトマンズ)で部屋をシェアしたユウヤ君も僕より一日早くBnagkok入り、
また3年前にBangkok(バンコク)Kaosan Rd.(カオサン・ロード)で知合い、
Cambodia(カンボジア)SiemRiap(シェムリアップ)でも仲良くしてもらったタカさんと再会予定、
僕が20代前半の頃世話になった英会話の
家庭教師ダニエルもBangkok在住で家に招待されていて再会予定、
またIndia(インド)Varanasi(ヴァーラーナシー)で一ヶ月間一緒にダラけ尽くしたリュウタロウ君も
2月前半にBangkok入の予定だ。
Bangkok行くのに、こんなに楽しみなのは初めての時以来。
節約もあるが、ほぼ旅の締めになるだろうから、
楽しみたいと思ってます。

バンコクに続く

2010年1月8日金曜日

2009年12月27日-2010年1月3日-POKHARA NEPAL

丸々2日間のバス移動を経て、到着したのはAnnapurna(アンナプルナ連峰)の展望で有名な

Pokhara(ポカラ)という小さな街。

ここまでの道中は本当に疲れた。
通しツーリスト・バスのチケットを購入したのだが
最初のインドVaranasi(ヴァーラーナシー)から国境の街Sunauli(スノウリ)間と、
そこからPokhara(ポカラ)まで全てローカル・バスだった。
それだけならともかく、Sunauli(スノウリ)からのバスがゼネストの影響で運休と言われ、
僕を含め6人の旅行者は仕方なしにKathmandu(カトマンズ)行きに乗車。
途中、山中の街でPokhara行きのバスを発見。
慌ててバスを飛び降り、乗り換え。
案の定、座席はなく外人6人屋根の上で4時間移動することとなった。
中々出来ない経験だが、寒いし、乗り心地は最低。
二度とごめんだ。

Pokharaで年越しとなったが、体調は優れず部屋にいる時間がほとんどだった。
それでも、雲さえ出ていなければ最高の景色が拝める。
飯もソコソコおいしいし、インドとは違い商店で酒を置いている。

1週間の滞在で宿の主人と仲良くなり、後半は毎日一緒に飲んだり、
バイクでウロウロしたり。最終日は主人の嫁さんの手料理を振舞ってもらい、
真っ直ぐ歩けないほど、地酒を飲んだ。

1月23日にKathmandu(カトマンズ)からBangkok(バンコク)へ戻る予定で、
山は体調次第。まだまだ絶好調とは言えないし、山中でぶり返したら最悪だ。
じっくり検討したいと思う。

カトマンズに続く

2009年11月28日-2009年12月17日-VARANASI INDIA

ついにやって来たUttar Pradesh(ウッタル・プラデーシュ州)Varanasi(ヴァーラーナシー)。

これまでのインド旅行の反省と、期待を込めて来たが、やはりインドだった。
他の地域との違いは、外国人旅行者が狭いエリアに集まっていて、
そこで働く現地の人間も良きも悪きも心得がある。
今回のインド旅行の中で一番長い滞在となった。
僕が迷路のような旧市街の道順、お店や宿などを把握するのに、
さほど時間は掛からなかった。
むしろ現地のディーラー、客引き、ドライバー共は、
毎日悪態ついても中々俺を覚えない。
10日間ほど毎日、何か言われる度に10倍返し位で文句をつけてたら、
さすがの連中も声を掛けて来なくなった。

もちろん初めて見る奴らは、声を掛けてくる。
別段、毎日怒りまくっていたわけではないけど、
インドに限らず、こういうところの連中は、
どいつもこいつも「ジャパニーズ?」「コリアン?」から始まる。
相手にしてると疲れるので、基本無視。

2回目は応戦して絡む。

3回目、相手が引くまで絡む。

3ストライクアウト。

ガート沿いの火葬場では一度、19、20歳位の兄ちゃんともめた。
よく話に聞く、「上の方が良く見えるから、一緒に来なよ」の類だった。
まあ、相手も応戦し、ウダウダ言ってきて、
久々にキレそうになったが、恥ずかしいし、火葬場なので、
キレる直前で抑えた。
当然、そんなガキに負けるわけもなく、文句言い倒して黙らせた。
近くで見てた金髪ネーちゃんが心配して話しかけて来てくれた。
この何秒間かの会話の中で、僕はかなりの優越感に達していた。

恋の予感すら感じた。

が、
連れのイケメンがおった。人ごみの中からヒョッコリ出てきた。

まあ、そんなオチは予想していたけど、
虚しく退場を余儀なくされた。

それ以外にも、最初に泊まってた宿でチェックアウトの際に鍵を返し忘れてて、
丁重に返しに行ったところ、
雇われのデブの番頭が後ろからいきなり引っ叩いてきて、
鍵代の弁償を要求してきた。
この件に関しては、僕に責任があるわけだが、
引っ叩いたことを引き合いに弁償はせず、
問題があれば警察に相談するよう冷静に応じた。

今のとこインド人相手には百戦錬磨だが、
友人や現地の日本人にも必要以上に絡まないよう言われている。
そのとおりだ、そこらのガキやマフィアより、たちが悪い警察が出てくる可能性があるからだ。

まあ、悪い奴らだけではない。
面白い奴も沢山いるインド。
行き過ぎた日本人を気に掛ける素朴で垢抜けない連中も多い。
そんなVaranasi(ヴァーラーナシー)にハマっている自分を感じた。
ともかく、あらゆる意味でVaranasi(ヴァーラーナシー)は面白いところとツクヅク感じた。

ポカラに続く

2009年11月24日-2009年11月26日-MUMBAI INDIA

インド経済の中心都市、ビジネス、ファッション、ボリウッド、ナイトライフ、スラムと高層ビル。

それがMaharashtra(マハーラーシュトラ州)Mumbai(ムンバイ)。

本当なら同州Pune(プネー)に滞在の予定だった。
Pune(プネー)に早朝到着後、列車予約のオフィスに出向いたが、
案の定、Uttar Pradesh(ウッタル・プラデーシュ州)
Varanasi(ヴァーラーナシー)のチケットは取れず仕舞い。
そうなるとここに数週間の滞在を余儀なくされるので、
仕方なしにMumbai(ムンバイ)まで、再び列車を乗り継いだ。
到着早々、列車予約オフィスで、
ここには外国人用の特別枠があるので、2日後の列車予約した。

Mumbai(ムンバイ)での宿探しはそれほど難しいことはなかった。
どこもかしこも高いだけ。
予想以上だった。
2泊だけだったので、
諦めて駅からも近いWelcome Hotel(ウェルカム・ホテル)一泊1500Rsの宿に入った。

しかし、なんてことだ。
混雑を極める道路、スラムの人達。
酷いなんてものではない。
唯一、部屋から眺めるCST駅が好きだった。

インドに入国し1ヶ月が過ぎたが、ずっと不思議に思っていることがある。
駅なんかで列車を待っていると、荷物運びの連中が客に罵声を浴びせながら通り過ぎていく。
列車内でもチケット確認の乗務員はやたら偉そうだ。
インドではサービスを購入した客より、
お金を受け取りサービスを提供する側の人間の方が立場が上なのか?
不思議だし、時折腹立たしい。
このような光景は、列車だけに限らず、至る所で目の当たりにする。
非効率な環境がこの国にはある。
外国人である僕はこのような事態にあった時は、
決まって嫌味を言っとく。
僕にはカーストは関係ないから、相手も調子を狂わす。

警察官なんかは特にパワー・ハングリーも良いとこで、
金を取ろうとしてくる。
特に夜とか朝方。
色々とこじつけてくるが、
「じゃ、署まで言って話そうか?」
で、話は着く。勿論、潔白であればの話だが。

ともかくムカつくことも多いインドだけど、これがインドだ。
理解するのに、そう時間は掛からなかった。
楽しむしべし。

ヴァーラーナシーに続く

2009年11月21日-2009年11月23日-PANAJI INDIA

Goa(ゴア州)Panaji(パナジ)、ここはインド人を除けば、

ラテン・アメリカな雰囲気を持ち漂わせてる。

殆どの旅行者は北のビーチへの玄関口としてしか思っていないようだ。
かつてはポルトガルに統治されていたらしいが、
街並みはパステル色の建物が並んでいるし、
僕の宿泊する宿にもイエス・キリストのポスターや十字架像が飾られている。
この宿の建物はまさにポルトガル風?な一軒家。
老夫婦が経営していて6室しかなく本当に小さい。
部屋はシンプルだが広々としていた。
祖父母の家に遊びに来たような感じがした。

しかし、ここはGoa(ゴア州)、宿泊料金はこれまでとは全く違い高い。
宿にチェック・インを済ませ、早速バス・スタンドにある列車の予約オフィスに出かけた。
3日後月曜日のMadgaon(マドガーオン)発、
Maharashtra(マハーラーシュトラ州)Pune(プネー)行きのTatkalチケットを入手。
この時点でTatkalチケットの意味は全くわかっていなかった。

街は狭く歩いて周れてしまう。
ここには行くべきというような場所はないが、
ともかくインドでない、この街並みがすばらしい。

ここから北に進むと有名なビーチがいくつも有り、
パーティー、ビーチ=Goa(ゴア)という代名詞と言っても過言ではないと思う。
僕は遠慮して違う方向に進むが、
何故、わざわざインドに来てまで?
と、いつも思う。
自国、またはもう少し違った国もあるだろうに。
わからない。
僕が、もし一晩中レイヴ・ミュージックが鳴り響くようなところに行くなら、
真っ先にスペインとかそこらに向かう。

そんなこんなで、あっという間の2泊3日が過ぎて行った。

プネーに続く

2009年11月18日-2009年11月21日-GOKARNA INDIA

ついにGokarna(ゴーカルナ)に到着。

道のりは列車とバスを乗り継いでと、多少複雑だった。
ガイドブックにも載っていないし、ネットでの情報を頼りによく来たものだ。

ここの町は大変小さく、町というより村だ。
まあ、それでも必要なものは全て揃うので、問題はない。
宿は丘を越えてビーチのコテージと決めていたので、
到着後、最初に行ったのはアルコールの仕入れだった。
ローカルのウィスキーをボトルで2本購入した。
それにしても本当に真夏の陽気で、荷物を担ぎ、丘を越え、ビーチで宿探しも容易でなかった。
家族経営の物静かなShanthi Guest House(シャンティ・ゲストハウス)400Rsのコテージを確保できた。
他のコテージは600Rsで汚らしい。

ここのビーチは本当に静かだ。インド人は少なく、殆どが欧米人。
ビーチ沿いのカフェでビール片手に寛いでると、必ず欧米の旅行者に話しかけられる。
それほど仲良くなったわけではないけど、
オーストラリアの若者マシューと夕方、旅について語らえたのは楽しかった。
滞在中は、
朝起きて、町まで出かけ土産屋を見ながら、村の写真を撮って、
昼飯は町のホテルの一階にある
ベジタリアン・レストランで決まってマサーラー・ドーサーを食べていた。
昼食後、コテージに戻り、筋トレ、シャワーを浴びて、
ビーチで昼寝。
夕方はビーチ沿いのカフェで一杯やりながら、ターリーを頂く。
そんな流れだった。
大変、優雅で怠惰な生活だが、
そろそろビーチにも飽きてきた。

ここを離れ北上するなら、Goa(ゴア)には一度行かなくてはならない。
その後、Central Karnataka(カルナータカ州中央部)のHampi(ハンピー)に寄り道するか、
Maharashtra(マハーラーシュートラ州)に直行するか、
いずれかの二つの選択肢がある。
いずれにしても物価の高いGoa(ゴア)に長居は出来ない。
でも、列車チケットが思惑通り確保できるとは限らない。
行ってみるしかない。

ゴアへ続く

2009年11月11日-2009年11月17日-KOCHI INDIA

Trivandrum(トリヴァンドラム)から約4時間の一般座席の列車の旅で

Ernakulam Jn. Station(エルナクラム・ジャンクション駅)に到着。
今回は平和な移動だった。
ここKochi(コーチ)は、いくつもの島と半島で成り立っていて、
列車が着くのは本土のErnakulam(エルナクラム)。

安宿が集まるのは本土と、
フェリーという名のポンコツエンジンを載せたボートで島に渡った
Fort Cochin(フォート・コーチン)。

本土の喧しさに僕は多少不便だがFort Cochin(フォート・コーチン)に向かった。
正解だった。何とも静かなFort Cochin(フォート・コーチン)。
ヨーロッパの田舎町みたいな風貌で、インドとは思えない雰囲気。
もちろん住んでいるのはインド人だが、この旅に一息入れられる。

家族経営の一軒家の宿で
Spice Holidays Homestay(スパイス・ホリデーズ・ホームステイ)に泊ることにした。
物価が高く怪しく汚い宿でも300Rsはする、僕は450Rsでこの宿を決めた。
部屋は綺麗だし、中庭と共有スペースがあり、他の旅行者から情報も入る。
オーナーが物凄く親切で良かった。
要らぬ押売りはしてこないし、物静かな人だが、何より親切の言葉につきる。
3日目の朝には部屋の掃除とシーツとタオルの交換もしてくれた。

ここでの毎日は本当にゆっくりしていて、
朝ゆっくり起きてはチャイを飲みに行って、
ついでにサモサを持ち帰りで買って部屋で昼飯したり、
海岸沿いの遊歩道を散歩しながら夕陽を見たり、
酒屋がないので、我慢できなくなったら、
その辺のレストランとかカフェ(ライセンスなし)でビール飲んで、
夕飯はパン買ってきて軽く済ませる。
本当に静かで一時の休息だ。
2日目には、本土の駅まで
次の目的地Karnataka(カルナータカ州)Gokarna(ゴーカルナ)に行く為の
寝台席を予約しに行った。
同じ宿の旅行者達やオーナーから色々とGokarna(ゴーカルナ)の行き方を聞いたし、
ネットでも調べて見たが、
どうやら最寄駅のGokarna Rd. Station(ゴーカルナ・ロード駅)は、
殆どの列車が停車しないらしい。
Kolkata(コルカタ)で購入したインド全土の列車の時刻表にも、この駅は記載がない。
寄ってその先のKarwar(カーワー)というGoa(ゴア州)との州境からすぐ南まで行って、
Goa(ゴア)からGokarna(ゴーカルナ)を走っている州営のバスを拾うしかない。
無事着けるのか唯一の不安を抱えながら、
Fort Cochin(フォート・コーチン)では過ごしていた。

ゴーカルナに続く

2009年11月9日-2009年11月11日-TRIVANDRUM INDIA

Kanyakumari(カニヤクーマリ)からTrivandrum(トリヴァンドラム)まで

2時間の一般座席の移動。またしても一悶着あった。

途中停車駅、本当に農村部の駅で危険な香りがするローカルの連中が乗車してきた。
既に座席は満席で、僕は始発駅乗車なのでしっかり確保していた。
そのローカルの連中のうち一人が満席長椅子に無理矢理わり込んでいった。
僕には直接関係ないが、他の乗客らも迷惑そうに、
何も言えないみたいな雰囲気だった。
そのわり込んでいった一人が突然、僕を見ては何か言ってきた。
手振りの雰囲気では「お前は立って席を連れに譲れ」みたいな感じだった。
当然無視。
さらに何か言ってくる。
むかついた。
キレそうになった。
そして応戦した。

「やかましい!だまっとれ!このボケがどつくぞ!」ばりに言ってやった。
相手が引いた。が、周りの乗客は相変わらず迷惑そうにだんまりしてる。
まともそうな一人に連中のことを聞いてみたら、評判の悪い農村の部族民らしい。
僕には知ったことではない。
こんなガリガリの連中、間違っても刺し違えられる自信はあった。
とりあえず、かなりムカつく連中だったので、
下車時に捨て台詞吐いてきた。

インドの列車は本当に面倒が色々ある。
あとになれば笑い話だけども。

昼過ぎに到着した僕は
Kerala(ケーララ州)の州都Trivandrum(トリヴァンドラム)で宿探し。
またしても手こずった。
部屋がない。
11月から3月の南インドはハイシーズンと言うけども、
これほどまでとは思いもしなかった。
結局、部屋を確保出来たのは
世界に名高いYWCA International G.H.(YWCAインターナショナル・ゲストハウス)。
一泊575Rs高い。エアコン、ホットシャワー、ケーブルTV付き。
夜に宿の若いスタッフがエアコンは別途1000Rs/日だと言いに来たが、
使わないと言っておいて、実際は使った。

本当に地味な州都で、おそらく旅行者にとってここは、
Kovalam(コーヴァラム)とかVarkala(ヴァルカラ)の
ビーチリゾートへの玄関でしかないのだろう。
駅前の通沿いにあるPrime Square(プライム・スクウェア)という
レストランのマサーラー・ドーサー/24Rsは驚くほど美味かった。
完全にドーサーにハマってる。

バケーションのつもりが、本当に疲れ始めている僕。
ゆっくりしたいところだが、安い部屋もなければ進むしかない。
Varkala(ヴァルカラ)に行こうか、本当に迷ったけど、
この辺り雨が多いので、もう少し北を目指して、
Kochi(コーチ)に向かうことを決めた。
最近、時間があればガイドブックを読んでいて、
West Bengal(西ベンガル州)に興味を持ち始めている。
ヒマラヤ山脈の眺望と
Derjeeling Himalayan Railway(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)だ。
Derjeeling(ダージリン)からNepal(ネパール)にも陸路で入国できる。

まだ南でパッとしたところを見つけられていないので気が早いが、
計画に加えておくことにした。

旅はまだ1カ月しか経過していないし、
まだ南部も楽しみにしている所が残っている。
高い、高いと言っても知れているし、
もう少しゆったりとしよう。

カナダの東西横断もそうだったけど、ここはデカいインドだ、
何だかんだと3、4か月は掛かるだろう。

予想もしなかったマサーラー・ドーサーのおかげで元気が出てきた。

コーチに続く

2009年11月7日-2009年11月9日-KANYAKUMARI INDIA

早朝、Kanyakumari(カニヤクーマリ)に向かう列車の中で

目を覚まし窓の外に目をやると、
物凄い数の巨大な風力発電機が並び、しっかり稼働している。

風力発電機で思い出すのが、
数か月前まで働いていた仙丈ケ岳だ。
頂上直下にある仙丈小屋にもかなり小ぶりだが風力発電機がある。
話によれば風力発電機は設置も維持にもコストが大変掛かるらしい。
特に蓄電用のバッテリーは高価で、更に現在の技術を持ってしても3年が寿命らしい。

そんな物が、世界最大の貧民を抱えるインドの南の果てで林立し
稼働している光景は不思議だった。

極貧生活を送るインド国民は3億5000万人以上と言われていて、
貧困層の75%は農村部に暮らし、
残る大多数は都市部のスラムに住んでいるとのこと。
平均賃金が約$700で、全人口の40%は1日$1以下で暮らしている。
そんな状況でいくら電力発電を行っても、あきらかに非効率だ。
政治のことはよくわからないが、
僕が知っている国の栄え方とは大きく順序が違う。

そんなことを考えながらKanyakumari(カニヤクーマリ)に到着したのは午前7時。
既にオートリクシャーのドライバー達が待ち構えていたが、
全て無視し、バーザール周辺まで宿探し。
あらかじめ調べておいた宿数件、全て部屋はあったが時期的なものか値段が高い。
仕方ないので、より汚い感じの宿を周り何とか200Rsで部屋を確保。
シャワーを浴びて、岬の先を散策した。
ここはベンガル湾とインド洋とアラビア海が出合うところで、
聖なる海?で沐浴する巡礼者が沢山来ていた。
連日の移動で疲れていた僕は感動に及ばなかったが、
まあ、そういう土地だ。

食事はバーザール周辺のHotel Saravana(ホテル・サラヴァーナ)内の
レストランが安くて美味い。いつ行ってもターリーが準備出来ていないのだが、
初めてドーサーを食した。
ドーサーは大き目のクレープのようなもので、
僕のお気に入りはマサーラー・ドーサーだ。
香辛料で味付けしたジャガイモをドーサーで包んでいて、
おかわり自由のダールのスープと野菜のピューレが付いてくる。
量も味付けも値段も僕の旅行には妥当な一品だった。
足りない時はプーリーという薄焼きのパンを頼むのもいい。

ここでもビールを売ってる酒屋はなく、地酒のウィスキーを飲むことになった。
2日目にアーシュラム(修行道場)のゲストハウスに移った。
3人部屋のドミで15Rsとかなり安いが、飲酒、喫煙は固く禁じられているので、
コーラのボトルに残ったウィスキーを足して持ち込んだ。

そんなに長居するようなところでもないので、3日目には出発。
Kerala(ケーララ州)Trivandrum(トリヴァンドラム)に向かった。

トリヴァンドラムに続く

2009年11月3日-2009年11月6日-CHENNAI INDIA

Bhubaneswar Station(ブバネーシュワル駅)に列車が入ったのは21時過ぎ、

一般座席の車両に向かうと扉が開かない程、大混雑している。
違う一般座席の車両に行くが、こちらも大混雑。
かろうじて開きかけの扉に行くや、
扉の向こう側に入ってくんなばりに座り込んでいる連中。

乗らないわけにはいかないので、
扉を叩き、デカい声で"一先ず立て!"と叫んだ。
嫌そうな顔つきで立ち上がるインド人どもを気にせず、
80Lのバックパック背負った僕は無理矢理入り込んだ。
座席の方は通路も荷物置きもインド人が詰め込んでいる。
出入口からトイレのデッキ付近ももう入れない位だった。
当然座り込むことすら出来ない状態。
事実この状態で21時間だった。
便所もインド人も臭いし、僕も臭いだろうけど。
やたら密着して俺の肩で寝ようとする奴もおるし、
タバコ吸うために何度も便所に来る奴もおるし。
何度も途中下車しようかと思った。
が、動きが取れない。
途中停車駅では列車に跳ねられて、首と腕がぶっ飛んだ遺体を見るし。
丁寧にもしっかりバラバラの体を並べてあって、片目は飛び出している。
ただでさえ臭い車両に陽にあたった遺体の腐敗臭が風にのって入ってくる。

本当に吐き気がした。
呪われた21時間だった。
ストレス困憊、睡眠不足、極度の披露ながらも
Tamil Nadu(タミル・ナードゥ州)Chennai(チェンナイ)に到着。
ピリピリしながらオートリクシャーを拾って、
Triplicane(トリプリケーン)に向かった。
どの運転手も手数料目当てで宿に連れて行こうとするが、
一切耳を貸さず、
目的のParadise Guest House(パラダイス・ゲスト・ハウス)に着いた。
広く清潔な部屋は専用バスルームにダブルベットとケーブルTV付きで300Rs。
特別、長居する必要すらない都市だと思うが、
ともかく地獄の21時間の後だったので3泊することにした。
到着した日は、シャワーだけ浴びて熟睡した。

もう長時間の一般座席に懲りたので、外国人専用枠を設けてる窓口で
Kanyakumari(カニヤクーマリ)までのエアコンなし寝台を翌朝購入しに行った。
無事、予約も取れたし、気分転換に飯でもと、
レストランで昼からターリーを食べた。
相変わらず強烈に満腹になったけど、ろくに飯も食ってなかったので幸せを感じた。

この時点で、僕が知っていて実際に食したインド料理のメニューは
ターリーのみだった。
色々聞くのも面倒だし、
あらかじめ調べておいても実際メニューを読んでも忘れてるし。
何せ、ターリーはおかずも米もおかわり出来る上に安い。
但し、本当に強烈に満腹になる。

本当に見所のない町だが、唯一Marina Beach(マリナ・ビーチ)は
朝夕に行くと綺麗なところだった。

すっかり元気になり、
いよいよインドの地の果てKanyakumari(カニヤクーマリ)に向かうのだけど、
コルカタからインドの東部を南下してきて、
落ち着けたのはPuri(プリー)だけだった。

カニヤクーマリに続く

2009年11月1日-2009年11月2日-BHUBANESWAR INDIA

Puri(プリー)から直接南下する列車がない為、
立ち寄ることとなったBhubaneswar(ブバネーシュワル)。
Puri(プリー)からは列車で2時間程度なので予約不要の一般座席に乗って来た。

安宿は駅近くのCuttack Rd.(カタック・ロード)沿いに沢山ある。
何故かわからないが、どこも満室だった。
仕方なしに、駅前の並びにある大型中級ホテルで
大韓航空みたいなロゴ看板を掲げているHotel Keshari(ホテル・ケシャリ)に宿泊。
望んでもいなかったエアコン付きのツインしか空きがなく、
見っともない位、値踏みして2100Rsの部屋を1500Rsで手を打った。

部屋は豪華だが、カビ臭く、大きな窓は鳩の糞で汚れていた。
安宿で部屋がない時点でかなり凹んだが、ともかく早くこの町を離れたかった。
ここから21時間掛けてChennai(チェンナイ)まで進むのだが、列車の寝台も満席。
見所も大してないこの町で安宿の部屋もなく、
お金を張り込んで中級ホテルに泊り続けるわけにはいかない。

翌日の晩の列車に乗るのを決心するまで時間は掛からなかった。
予約不要の一般座席で21時間、好奇心もあった。

チェンナイに続く